小樽と永倉新八
2026年 02月 16日
新選組の池田屋事変の動画からマニアックな世界へとさまよいこみました。池田屋事変は元治元年の6月5日。今から162年前のことで、祇園祭の宵宮の日でしたが、この祭りは今では7月中旬のころ。旧暦と新暦の季節の違いを示すのに、私がよく例に挙げることがらでもあります。そしてこの旧暦日付が私の誕生日でもあり、日付まで覚えている数少ない歴史事変でもあるのです。
ところで、その日、尊攘派浪士が20人以上集まっていた場に切り込んだのは、近藤勇ら新選組の隊士わずか4人。一番隊組長沖田総司、二番隊組長永倉新八、八番隊組長藤堂平助が近藤に続きました。そして副長の土方歳三らは他所を捜索後に遅れて切込み、明け方まで戦闘は続きました。
この時の詳細を今知り得るのは、最初に切り込んだうちの一人、永倉新八が後に記録に残したためで、隊士の慰霊碑を建立したことと言い、新選組の名を後世に伝えた人物でもありました。
この永倉新八がどのような人物であり、明治維新後に大正年代までどのように生きたかを、初めて追うことになったのです。マニアックな私の本領が果たして発揮できるのかという思いを抱きながらの作業でした。
かなり多くのことがらをWikiに頼ったのですが、永倉新八は松前藩江戸定府取次役の永倉勘次の長男として、江戸にあった松前藩邸で生まれました。激動の幕末・明治維新期を過ぎ、松前藩の地、北海道の松前に移ったのは明治維新後の明治3年のこと。今回の私の興味は、維新後の永倉新八にあるのです。
新八は藩医・杉村松柏の娘きねと結婚し、婿養子となりました。のちに杉村家を相続して小樽に移り住みます。明治8年のことでしたが、これは後述の戸川幸夫の記述によるもので、暮らした町がどこだったのか、Wikiにも記載がありません。
しかしこれは最初の小樽転居で、明治15年に樺戸集治監で剣術師範を勤めていますが、現在の樺戸郡にあたる場所にあり、小樽から60キロ以上離れた距離。通うには遠すぎ、どこに住んだのかは、これもまた不明です。

4年後に東京の牛込に移って剣術道場主となり、13年後の明治32年に小樽に戻ります。この時妻子は小樽にいて薬局を経営していたと、これもWikiの記述です。
6年後に現在の小樽市緑1丁目(旧小樽少年科学館付近)に移ったとWikiは記し、さらに明治42年に今の小樽市花園町に移りました。ここは新八と音羽の対面の地としてGoogle Earthに記載されていますので、この音羽が結婚相手なら再婚したのでしょうか。ここのところは小樽市の永倉新八記念館に詳細が残されているかもしれず、興味深いです。

ところで永倉新八の死去は大正4年。小樽駅は明治36年に小樽中央駅として開業していて、彼が戦前に列車を見た、あるいは乗ったことがあるのかもしれません。Copilotへの問い合わせ回答では、明治時代に入ってから東京に出向いたとし、これは事実らしく、「永倉は明治期に東京と北海道を往復して」いたことが記されていました。おそらく列車を使ったのでしょう。剣豪と列車の旅。想像してみると、大変興味深いことがらです。
さて永倉新八と北海道での関係地を小樽中心に、有名な小樽運河とともに図で示しました。この記事を書いて、札幌市にある北海道大学のキャンディーズの聖地とともに、またまた訪れてみたくなった地でもあります。
さらなる詳細をと考えたものの、ネットの資料も少なく、とりあえずはこのあたりまでとし、ここまででは参照しなかった所蔵本について眺めてみようと思い立ちました。それらは綿谷雪の「日本剣豪100選」、流泉小史「新選組剣豪秘話」、歴史読本・戸川幸夫「元新選組隊士」の3冊です。
戸川の記述は新選組の結成からの激動期のものが主で、維新後に北海道に移った経緯も文末で触れています。明治32年に小樽に戻り、長男、二女に支えられて余生を送ったと締めくくっていますが、先の音羽のことは記されていませんでした。
なお、戸川の記述によれば、新八が明治2年に松前に戻ったのは、江戸に潜伏していることが困難になったために松前藩に帰参を願い出た結果だとしています。
そして流泉小史の「新選組剣豪秘話」と綿谷雪の「日本剣豪100選」にも目を通してみたものの、永倉新八の記述は見当たらずでした。
池田屋事件ですか
どうも幕末や明治維新を好きになれない自分ですが今しがたWikipediaでざっくりと勉強いたしました
キャンディーズの北大も出てきましたね
夢のような場所でもあります
つい数日前に考えたことは所謂革命的に出来上がった明治政府から僅か80年足らずで多くの同胞を死なせて国家滅亡の危機にさらした非常に危険な時代
以後80年以上現体制を維持しているのかと思います
幕末から明治維新は、近代日本への転換点でもあり、戦いの歴史でもありましたね。歴女のあこがれは、かつての殺人集団・新選組ですから、時代も変わったといえるかもしれないですね。劇画風の永倉新八もかっこよく描かれています。
キャンディーズの北大とともに出かけたくなりました。歴史と今を探る旅というような感じかもしれません。
現代は過去にないほどの緊迫感のある時代ですね。外国との戦いで多数が犠牲になるのは近現代の宿命とでも言えそうです。革命で数百万、数千万の国民が虐殺された諸外国の内情よりはましだと考えられるのが、せめてもの慰めでしょうかね。
しかし倭国の大乱から飛鳥の仏教渡来時の内乱、鎌倉時代の御家人同士の一族殲滅戦争から応仁の乱を経ての戦国時代の争乱の歴史を持つ日本は、戦い続けた民族でもあり、近現代の人々の歴史は、これもまた過去よりもましと慰める今でもあるでしょうかね。


